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切っ先が鰻包丁みたいな形ですね。
蛇行剣がヒントでしょうか?どちららも八尺超え。
蛇行剣は後だと思う。なんなら中国製の可能性が高い。
蛇行剣は後だと思う。なんならこの刀も蛇行剣も中国製の可能性が高い。当時は権威ある刀剣はすべて中国製だったのよ。日本では、まだまだ良い刀が作れなかったし、中国製の方が舶来品として格がだった。国産は身分高い人はまず使わなかった。だから、恐らく舶来品だとおもう。
権勢を大きさで示すメンタリティは現代人にも遺って居ますがそれにしても好きですねぇ😊国宝の刀の事は全く知りませんでしたが今でも鹿島神宮では毎年一振り鍛えられて居るそうですね🙂
ありがとうございます。
課長さんの説明や説明パネルなど、字幕を付けてもらえると分かり易いです。
this sword is wonderful
謎だらけの刀でも国宝に指定出来るもんなんだね
誰も直接見たことのない「草薙の剣」、「八咫鏡」、「八尺瓊勾玉」を三種の神器とか言ってるくらいだからなぁ。
ついしつこく書いてしまいますが 天叢雲剣 草薙刀別個の刀剣です。
フツノミタマもこちらは奈良時代の複製品です。
奈良時代に、既にこれを作り上げる技術があった事に驚きです日本刀とは、制作方が違うのか、同じなら鍛えはどうなっているのか?自重で曲がると言う事は、刀身が薄いって事ですか?日本刀と成分の違いは?氣になります
恐らく中国製=大陸製。当時は日本国産ではいい刀が作れず、身分高い人の剣や刀はほぼすべて中国製。当時は中国製の刀は舶来品の高級品で身分高い人達がこぞって使ってたのよ。だから、恐らくこの様な象徴的な刀なら確実に大陸製だと思うよ。国産では当時はダサい扱いされちゃう。
古墳時代からの両刃の剣に変わり日本刀が片刃となったのは、平安期に朝廷に逆らった蝦夷軍が使用した蕨手刀と戦った当時の朝廷軍がその形状の優美さと打ち切れる利点を参考に片刃の剣を使うようになったとの起源説がありますが、もしそうだとすると、最大の特徴と言われる優美な湾曲にまるで反するかのように、あえて直刀で、しかも持つとそのまま自重で折れ曲がってしまうほどの武器とも呼べないような長大な片刃の日本刀を作ったのは相当後年になってからなのでは?と邪推してしまいます。仮に奈良時代に製作されたものというのであれば、鹿島神宮程の日本最古と言われている式内社(名神大社)なのですから、当然それに繋がる資料や記録が残っていて然るべきなものですが、謎が多いと解説される理由の一つは、その様な論拠が一切存在しない。という事でしょうか。また国宝になっているくらいですから、せめて炭素年代測定法などにより、製作させた年代を調べていただきたいものだと思います。世界に誇るべき国宝であるのなら、どうしてそのような科学的検証を経ていない史料を国宝と指定されてしまうものか、それこそ日本の考古学の謎とまで言うのは大げさかもしれませんが、鹿島神宮の謎だと思います。
炭素年代測定法👍一般的な大名等が奉納する刀と違い、神話に基づきわざわざそのためにつくられて奉納されたものなのでしょう。1300年前というだけで神話とは年代が異なりますし、宗教上の理由により詳細は公開しない方が良いとの判断なのでしょう。1300年と言った時点で推して知るべしなのかと思いました。
@@異端ネロ 様、貴重なご意見有難うございます。ただ、宗教上の理由ならば、作成年代はいつの頃でも特に構わないのでしょうから、創建と伝わる紀元前660年頃の2,682年前とすれば、宜しいものを、わざわざ奈良時代と言うのであれば、または思われる。と言うのであれば、その根拠を多少なりと示すべきではないかと思った次第です。国宝を担当する公共機関の責任者である課長さんの解説なのですから。いつ作られたか定かでない物を国宝と指定するわけが無いと思いますので。動画で刃の光具合や錆の付き方から拝見しただけですが、作られたのは、おそらく明治か、古くとも江戸の頃のように拝察いたしました。
@@nihontaro9 様 ご高察のとおり。そうですね、江戸時代の朱子学や国学、明治維新や国家神道の影響は外せないですね。
古墳時代も片刃の直刀はたくさんありますよ。というかむしろ直刀のほうが多いはずです。あとこのツルギは拵が平安時代のものだと認められてるそうで、正倉院の金銀鈿荘唐大刀の流れを汲んでいるとされています。あと【北畠親房の『神皇正統記』(南北朝時代)には、「この剣を豊布都神(とよふつのかみ)と号す。初めは大和の石上に座し、後には常陸の鹿島神宮に座す。」とも記されています。】という説明があるようですよ。あと関連性は分からないがという枕詞はありましたが常陸国風土記に若松の浜で砂鉄から剣を作ったという記述があるそうです。
恐らく大陸製=中国製だと思うよ。当時は中国製の刀が1番格式高くて性能も良かった。聖徳太子の七星剣も中国製なのは判明してる。刀が反るのは青銅器時代からあったけど、日本刀が反りだしたのは恐らく、製造過程で焼入れの問題だと思う。奈良時代までの鉄の剣や刀は焼きが入らない軟鉄で焼入れしてないのよ。これが鋼鉄の発明で焼入れが出来るようになると、焼きいした時に反るんよ。普通は直すけど、『これもありじゃない?』『逆にこっちの方がいいなー!』って感じでそこから反りが入った刀が生れたと言う説もある。
長い刀長=は=波刀=かたな=日多七波日多七=神武天皇の御霊の意味?妄想でした。
切っ先が鰻包丁みたいな形ですね。
蛇行剣がヒントでしょうか?
どちららも八尺超え。
蛇行剣は後だと思う。なんなら中国製の可能性が高い。
蛇行剣は後だと思う。なんならこの刀も蛇行剣も中国製の可能性が高い。
当時は権威ある刀剣はすべて中国製だったのよ。日本では、まだまだ良い刀が作れなかったし、中国製の方が舶来品として格がだった。
国産は身分高い人はまず使わなかった。
だから、恐らく舶来品だとおもう。
権勢を大きさで示すメンタリティは現代人にも遺って居ますがそれにしても好きですねぇ😊国宝の刀の事は全く知りませんでしたが今でも鹿島神宮では毎年一振り鍛えられて居るそうですね🙂
ありがとうございます。
課長さんの説明や説明パネルなど、字幕を付けてもらえると分かり易いです。
this sword is wonderful
謎だらけの刀でも国宝に指定出来るもんなんだね
誰も直接見たことのない「草薙の剣」、「八咫鏡」、「八尺瓊勾玉」を三種の神器とか言ってるくらいだからなぁ。
ついしつこく書いてしまいますが
天叢雲剣 草薙刀
別個の刀剣です。
フツノミタマもこちらは奈良時代の複製品です。
奈良時代に、既にこれを作り上げる技術があった事に驚きです
日本刀とは、制作方が違うのか、同じなら鍛えはどうなっているのか?
自重で曲がると言う事は、刀身が薄いって事ですか?
日本刀と成分の違いは?
氣になります
恐らく中国製=大陸製。
当時は日本国産ではいい刀が作れず、身分高い人の剣や刀はほぼすべて中国製。
当時は中国製の刀は舶来品の高級品で身分高い人達がこぞって使ってたのよ。
だから、恐らくこの様な象徴的な刀なら確実に大陸製だと思うよ。国産では当時はダサい扱いされちゃう。
古墳時代からの両刃の剣に変わり日本刀が片刃となったのは、平安期に朝廷に逆らった蝦夷軍が使用した蕨手刀と戦った当時の朝廷軍がその形状の優美さと打ち切れる利点を参考に片刃の剣を使うようになったとの起源説がありますが、もしそうだとすると、最大の特徴と言われる優美な湾曲にまるで反するかのように、あえて直刀で、しかも持つとそのまま自重で折れ曲がってしまうほどの武器とも呼べないような長大な片刃の日本刀を作ったのは相当後年になってからなのでは?と邪推してしまいます。仮に奈良時代に製作されたものというのであれば、鹿島神宮程の日本最古と言われている式内社(名神大社)なのですから、当然それに繋がる資料や記録が残っていて然るべきなものですが、謎が多いと解説される理由の一つは、その様な論拠が一切存在しない。という事でしょうか。また国宝になっているくらいですから、せめて炭素年代測定法などにより、製作させた年代を調べていただきたいものだと思います。世界に誇るべき国宝であるのなら、どうしてそのような科学的検証を経ていない史料を国宝と指定されてしまうものか、それこそ日本の考古学の謎とまで言うのは大げさかもしれませんが、鹿島神宮の謎だと思います。
炭素年代測定法👍一般的な大名等が奉納する刀と違い、神話に基づきわざわざそのためにつくられて奉納されたものなのでしょう。1300年前というだけで神話とは年代が異なりますし、宗教上の理由により詳細は公開しない方が良いとの判断なのでしょう。1300年と言った時点で推して知るべしなのかと思いました。
@@異端ネロ 様、貴重なご意見有難うございます。ただ、宗教上の理由ならば、作成年代はいつの頃でも特に構わないのでしょうから、創建と伝わる紀元前660年頃の2,682年前とすれば、宜しいものを、わざわざ奈良時代と言うのであれば、または思われる。と言うのであれば、その根拠を多少なりと示すべきではないかと思った次第です。国宝を担当する公共機関の責任者である課長さんの解説なのですから。いつ作られたか定かでない物を国宝と指定するわけが無いと思いますので。動画で刃の光具合や錆の付き方から拝見しただけですが、作られたのは、おそらく明治か、古くとも江戸の頃のように拝察いたしました。
@@nihontaro9 様 ご高察のとおり。そうですね、江戸時代の朱子学や国学、明治維新や国家神道の影響は外せないですね。
古墳時代も片刃の直刀はたくさんありますよ。というかむしろ直刀のほうが多いはずです。
あとこのツルギは拵が平安時代のものだと認められてるそうで、正倉院の金銀鈿荘唐大刀の流れを汲んでいるとされています。
あと【北畠親房の『神皇正統記』(南北朝時代)には、「この剣を豊布都神(とよふつのかみ)と号す。初めは大和の石上に座し、後には常陸の鹿島神宮に座す。」とも記されています。】という説明があるようですよ。
あと関連性は分からないがという枕詞はありましたが常陸国風土記に若松の浜で砂鉄から剣を作ったという記述があるそうです。
恐らく大陸製=中国製だと思うよ。当時は中国製の刀が1番格式高くて性能も良かった。
聖徳太子の七星剣も中国製なのは判明してる。
刀が反るのは青銅器時代からあったけど、日本刀が反りだしたのは恐らく、製造過程で焼入れの問題だと思う。
奈良時代までの鉄の剣や刀は焼きが入らない軟鉄で焼入れしてないのよ。
これが鋼鉄の発明で焼入れが出来るようになると、焼きいした時に反るんよ。普通は直すけど、『これもありじゃない?』『逆にこっちの方がいいなー!』って感じでそこから反りが入った刀が生れたと言う説もある。
長い刀
長=は=波
刀=かたな=日多七
波日多七=神武天皇の
御霊の意味?
妄想でした。